2022年1月4日(火)3回目のブログ
あるがの家族は今末っ子ばかりである。がままだけは違う。あるがが前に言ったように確かにみんなわがままだ。夕御飯の時に、お父さんが、残りのおにぎりの海苔を見て、こんなしわくちゃな海苔のおにぎり、嫌だよぅ!と嘆いていた。あるがが差し出した味付け海苔でもダメだと。そして我らが食べていたおにぎり、手作りのおにぎりの海苔をお母さんは付けた。
なんて繊細でこだわりがあって正義感みたいなのが強いのだろう。言ってみればわがままと言うヤツなのだろう。
がままは思う。がままだって、こんな感じでも良いのじゃないかと。欲に忠実、こんな素晴らしい人生があるだろうか?
あるががお父さんと少し似ているのはこのせいだろう。きっと、これが良いと思ったのだ。がままはと言うと今まで我慢してばかり。我慢してばかりいると怒りが沸いてくる。あるがのお父さんは、その時は怒ったりしているだろうけど、何とかなると、後はなにも言わない。
なんてサッパリしているのだろうか!
がままの水虫のガーゼのことだって、お母さんは気付き何それ?と聞いて。終いには足の間にいれるヤツをあげると言ってくれた。理由があり、したいことが明確なのだ。
がままは、それ前にも見ました。マニュキュア付けるときに入れるヤツですよね?それは要らないんです。と言った。
今だって流れている音楽のことをがままこう思う。何に気を取られるかは自由なのだ。がままは音楽が良く分かってないとか、ダメだとか。だれは凄いからその人に気持ちを預けようとか、そう言うのは良くない。
ましてや、がままは反対にがままこそが完璧で、ほかは愚かに見えてしょうがないとか思ってるのかも。と思うとゾッとする。
だから、音楽にはなにに気を取られていたとしても良いと思うし、なにが正しいとか、何でなければとか。そんなのどうでも良いのだ。とがままは思った。
今だってコーラを好きなように飲んでくれるあるがを見た。みんな好き好きにやっている。がままも好き好きにやってみたいものだ。
とは言え、好き好きと言っても、それを出来なかった方がギャクニ上手く行ったとかそう言うのもある。やはりこうならこうだ、と言うのも無いらしい。
なにをすれば良いのか。したいようにやる。でもそれでも分からなくなってしまう。100点を求めてしまうし、ましてや100点なんてのはこの世に無いのかもしれない。がまま、100点を求めすぎる。だからいけないのだ。
がままは高等な人間性でもないし、高等な人間でなくても良いんだ。そうやって、言い聞かしてる。
音楽が終わってしまった。また聴こう。もっと味わいたかったと言うのと、それを聴きながらブログを書けたことの喜びもあるし、何を求めようと、もう良いじゃないかと言うのもあり。
取り敢えず歯磨きは昼間したし、あとはクスリを飲んでトイレに行って寝るだけなので…。まあ、絵を描きたいのだが。やりたいことはわんさかある。
ゆっくりしたい。これに尽きる。ブログを書けて良かったなぁ。まあ、そんな感じ。
ではでは(^-^)/皆さま、楽しい暮らしを過ごしてください。わがままで、自由であっても無くても。何にであったとしても。自分を大切に。誰かを大切に。
がままより。